自己紹介―その⑥
2014年10月20日 (月)
結婚後は口腔外科の臨床として「顎変形症」を専門に行うようになっていました。顎変形症治療とは骨格的に「受け口」や「出っ歯」のかみ合わせで、歯列矯正では治療できない症例を外科的に治すことです。美容整形とは紙一重ですが、患者さんの術後の満足度が大変高く、非常にやりがいのある仕事でした。
一番がんばっていた時期でしたが、ある日医局のOBの先生で、福井大学で教授になられていた先生からお声が掛かり、福井で顎変形症治療を専門にすることになりました。いままで故郷横浜と長崎しか知らなかったので、一抹の不安はありましたが、新天地でがんばってみようと思い立ち、2010年から福井大学で勤務しました。
お水とお米がとても美味しく、春から秋まではとても良い場所でしたが、冬がやっぱりなれませんでした。今まで経験したことのない雪の量と、生活で雪をどのように扱ったら良いかがわからず、大変な生活を送りました。しかし、新しい出会いや医学部病院の先生方とも仲良くなれたので、歯科大とはまた違う環境で仕事ができた時期でした。
ロードサイクリングに出会ったのも、ちょうどこの時期でした。Balbaというサイクルショップで、長く乗れる自転車を奮発して買いました。それからは事あるごとに自転車イベントに出たり、週末は必ず100km近くサイクリングをしていました。
現在はまだ時間の余裕がなく、神奈川へ戻ってから一度も自転車に乗っていないのですが、今年中には必ず1度自転車で湘南海沿いや、相模川沿いを走ってみようと思います。
2年間福井に在籍しました。いまでも時々その当時の医局員の思い出を振り返り貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。
つづく
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自己紹介ーその⑤
2014年9月25日 (木)
副院長とは私が留学する2001年に当時の医局員として入局した女性でした。とても活発な人で、その当時は「元気な医局員だな」という印象でした。
異性として意識したのは留学後。一人でアメリカで生活した経験から、気兼ねなく話せる、自分とは違う考え方の人がいつも傍にいてくれることの大切さを痛感していました。
その点から彼女は最適な人と思いました。なによりも「自分に無い」面を補ってくれる人と強く感じ、自分から交際を申し込んだと覚えています。その後3年ほど交際したのち正式に結婚を申し込みました。
入籍は2008年夏。ただし結婚式は1年後の入籍日を選びました。場所は当時できたばっかりの長崎稲佐山中腹にあるガーデンテラス長崎。長崎港が一望できるとてもきれいなホテルでした。
これで順風満杯と思っていましたが、更なる人生の転機が訪れます。
続く。
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自己紹介ーその④
2014年9月14日 (日)
2004年6月に日本に戻り、改めて診療・研究・教育へ。その後はがむしゃらに仕事をしたと思います。
ヨーロッパへ国際学会へ参加したついでに、ベルギーの先生の所へも見学に行き、アメリカ-ヨーロッパの診療の違いも学びました。
2007年から現教授の朝比奈先生の元、外科矯正の診療を専門に行うことになりました。
香川の三次先生の所へも勉強に行き、垂直骨切り術lを学びその後2,3年間外科矯正治療に没頭したことを覚えています。同時に歯列矯正治療の勉強も行い、「かみ合わせの重要さ」を体に叩き込みました。
またそのころから体を動かすことも始めました。最初はマラソン。「五島夕焼けマラソン」に初めて参加してハーフマラソンをしたときは、暑さとコースの過激さにヘトヘトになりました。
完走後の一コマ
つづく
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自己紹介ーその③
2014年9月14日 (日)
大学院を卒業後、配属講座にそのまま助手として採用されました。いよいよ本格的な診療の開始となりました。
半年間外来・病棟勤務を行った後に、長崎大学医学部麻酔科へ麻酔研修を、当時の教授から伝えられ、全身麻酔の研修を行いました。この時に救急処置で行う点滴や呼吸管理の基礎を学べ、自身がついたことを覚えています。
その前後ですが、当時の教授が懇意にしていたアメリカのミシガン大学歯学部口腔外科教授:Steve Feinberg.と、お会いして留学ができないかを相談していました。麻酔研修が3か月くらい過ぎた頃、連絡があり受け入れ大丈夫との返事をもらい、研修を行いながら留学準備をして、2002年6月からミシガン大学歯学部口腔外科へ。2年間の研究留学の開始です。
当時は英語まったくしゃべれずまた、半年程度で英語がマスターできるとも思わなかったので、ほとんど勉強せずに渡米したことを覚えています。はたして、最初の入国(デトロイト国際空港でした)でつかまり、シドロモドロしました。ちょうど911の後だったので、非常に外国人にはナーバスになっていたのも関係?していたのかも。
ミシガン大学はミシガン州のアナーバーという学園都市にある州立大学ですが、全米でも指折りの名門校で、大学フットボールの強豪学校としても有名でした。
2年間口腔粘膜の再生を研究テーマとして働きました。当時一緒に働いていた新潟大学の泉先生には生活の心得も含めて大変お世話になりました。泉先生は現在新潟大学の教授になられています。
30歳過ぎていましたが、まだ結婚もしておらず単身での渡米でした。旅行はあまりできませんでしたが、アメリカの文化・生活や考え方の違い等を知り、非常に有意義な2年間でした。
研究成果は4年後に論文になっています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20080035
つづく。
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自己紹介ーその②
2014年9月6日 (土)
長崎大学歯学部の当時の特徴として、5年生から「当院」という制度がありまして、実際に患者さんと接する事で、歯科医師としての人格・技量を養う教育制度でした。
旅立つ前の若かりし時期
何とか無事に卒業したのが1997年。いわゆる人生の岐路で、「勤務」医になるか、「研究者」として働くかの選択が迫った時期でした。
もともと生物学が好きだったのですが、歯科とは生物(医学)と無生物(材料学-金属学・有機化学です)の両方を学ぶ学問だったことから、生物系の領域を勉強したかったのが、その当時の考えでした。ただ、やっぱり「患者さんを見たい」という気持ちが強かったので、臨床系領域を考えました。当時は歯周病学が最先端。でも「医者崩れ」という気持ちもあり、外科学も興味がありました。
で結局選んだのは外科学ー口腔外科を選びました。今の私が出来た時期でした。
最初は半年間臨床をみっちり研修。その後実験三昧の生活を送りました。
担当した患者さんと
研究領域は、いわゆる傷跡を如何に目立たなくするかでした。この時期に「理論だって考える」事を学んだ気がします。無事に4年間で卒業し、歯学博士の免状をもらえました。
歯学博士号をもらった後で、記念写真
卒後は何とか就職でき、やっと臨床家としての第一歩をあゆみ始めました。
ただし、当時は卒後3年程度で開業する同級生がたくさんいたので、正直焦る気持ちが大いにあった記憶があります。その事もあり、がむしゃらに仕事をした記憶があります。
ですが、ここでまた私の人生を左右する出来事が生じました
つづく
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